紅茶の歴史 ボストン茶会事件って何?

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ボストン茶会事件について知りたい人

紅茶の本を読んでると必ずと言っていいほどボストン茶会事件が取り上げられています。

今では簡単に飲める紅茶ですがちょっと昔では戦争の原因を作ったりしました。

このブログではボストン茶会事件について説明します 。

本記事の内容

  • ボストン茶会事件はなぜ起きた?
  • ボストン茶会事件の後アメリカはコーヒー派? 


ボストン茶会事件はなぜ起きた?

紅茶が大きな歴史的変化をもたらした代表例とされるのがイギリスとアメリカ植民地との独立戦争を導いたボストン茶会事件です。

もともとアメリカ大陸に喫茶の習慣を持ち込んだのはイギリス人ではなくオランダ人でした。

イギリスから清教徒の一団がマサチューセッツのプリマスに上陸したのは1620年のことですが、その頃はまだイギリス本国にも喫茶の習慣が伝わっていませんでした。

しかしオランダの東インド会社は1610年にはすでに本国へ茶を運んでいましたから、1626年にインディアンからマンハッタン島を買い取ってニューアムステルダムと命名した時にはすでに喫茶が流行していました。

その後1664年ニューアムステルダムはイギリス軍によって占領されニューヨークと改名されましたが、喫茶の風習はヨーロッパでの流行を受けてそのまま残りました。

18世紀になるとイギリス本国の ティーガーデンを真似た娯楽施設まで現れたほどです。

しかしこのように植民地での茶の需要が高まったのを見たイギリス本国はアメリカ植民地に税金を課そうと1765年に印紙税法を制定しました。

当時イギリスの東インド会社には本国植民地を含むとの貿易に関して不公平な独占権が与えられており他国の東インド会社は密輸という手段で対抗していました。

その結果茶の最大の消費地とまでに成長したイギリス本国とアメリカ植民地には大量の密輸茶が流れ込んでいたのです。

イギリス本国による一方的な印紙税法の制定に対して植民地ではイギリス本国から輸入される商品の不買運動が起こり結局茶税だけを残す形で印紙税法は撤廃されましたが、茶への課税反対運動はさらに広がっていきました。

そんな状況の中で起きたのが1773年のボストン茶会事件でした。

ボストン港に停泊していた英国東インド会社の船をインディアンに扮装した植民地人が襲撃し342個の茶箱を海に投棄したのです。

この事件を機にフィラデルフィアなど他の港においても同様の事件が連続し最終的には独立戦争へと拡大したのです 。

紅茶の辞典 成美堂出版,82ペ―ジ.より引用

ボストン茶会事件の後アメリカはコーヒー派? 

茶法に反対する一連の運動によって、それまで愛飲していた茶をボイコットする植民地人が多くなり、代わりにコーヒーが普及した。現在でもイギリス人に茶党が多い一方、アメリカ人にはコーヒー党が多いのは不買運動に由来するものである。

ボストン茶会事件の感想。

今回はボストン茶会事件を調べてみました

現在では美味しく飲める紅茶ですがそこにイギリスとアメリカの利権が絡む独立戦争にまで大きくなったことがとても驚きです。

あとアメリカのコーヒー文化が始まったのは紅茶が飲めなかったというのがとても新鮮でした。

美味しく紅茶を飲める私たちは 過去の先人の努力によって 飲めることをとても幸せに思いました。


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